「悩みがなさそうでいいよね」
今まで、友人や知人から何度も言われてきた言葉です。
そのたびに、「あるわ!」と突っ込んできました。
深刻度合は違っても、実際に誰にでも“悩み”はあります。
私にも、一応あります。
ですが、悩み方は人それぞれ違うのではないかと思うのです。
どのような状態のことを“悩んでいる”と捉えているのかは、人それぞれ違うのではないかと。
おそらく、多くの人の悩んでいる状態とは、「ああでもない」「こうでもない」とあれこれと考えている状態のことを「悩み」だと認識しているのではないでしょうか。
実際、私もそう思っていました。
私も何か悩みがあるときは、「ああでもない」「こうでもない」とあれこれと考えていると思い込んでいたのです。
しかし、友人が「悩みを考えているうちに悩みがどんどん大きくなる」と言っていたのを聞いて初めて気づいたのです。
私が悩んでいるときは、ネガティブな感情・感覚に覆われているだけで、あれこれと考えてはいないのです。
「ああでもない」「こうでもない」とあれこれと思考が働いている状態を悩んでいるというのであれば、友人や知人が言うように、私は悩んでいないことになります。
イヤ~な感情・感覚で項垂れているけど、そこに思考はありません。
なので、よく心理療法にある自分の悩みを書き出してみるということをすると、悩むに至った体験は書けても、今考えていることをアウトプットしようとすると書けないのです。
そもそも、人は悩みがあるとき、「どうしたらいいのか?」という対処法や解決策を知りたいというのが「悩み」の共通点です。
対処法や解決策がわからず、今の憂鬱な状態が永遠に続くのではないかと不安で心配で辛いから、あれこれと同じ考えが堂々巡りをしてしまう。
悩みの対処法や解決策がわかれば、悩み度合が軽減されたり、また対処法や解決策がわかるだけで、悩みが解決されることもあるはずです。
悩み方が人それぞれなのであれば、対処法も解決策もさまざまなはず。
私の悩み方が、マイノリティなのは理解していますし、マイノリティの方が好みですので至って構いません。
ですが、悩みは考えるものと当然のようになってしまうと、私のような悩み方をしている人は、悩み(思考)を頑張ってしてしまう人が多いようにも感じています。
もともと、体感覚優位なのに「悩まなけば!」と思考優位になってしまった人が多いのではないか。
そうすると、生真面目が故に自ら堂々巡りを頑張ってしまう。
頑張って悩んでしまうのです。
と言っても、同じ考えを堂々巡りすることが、当然の悩み方となってから何十年も経ってしまうと、自動的に思考させられるようになっている人がほとんどです。
悩んだとき、あれこれと思考に意識を向けるのではなく、感情・感覚に意識を向けてみることが「悩み」の対処法や解決策になることもあるのではないかと。
正しい・間違っているではなく、悩みが堂々巡りをしてしまうのであれば、いつもと違った対処法を試してみるのも一つの対処法なのではないでしょうか。
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“失敗”
誰でも失敗したくないですよね。私も失敗したくないです。
精神科医・随筆家の斎藤茂太氏の言葉で『人生に失敗がないと人生を失敗する』という名言があります。
失敗することでしか学べないことがあるし、失敗は唯一無二の体験という意味で私は捉えています。この言葉、『やってみないとわからない』思考の私は昔から好きで主催するセミナーでもご紹介しています。
でも、だけど、できれば、なるべく、失敗はしたくありません。
失敗せずに学べたら、それに越したことはありません。ですが、長年生きていると失敗したから学べた+αの方が、そのとき限りの“失敗”よりも、人生の血肉になっていることは身に沁みています。
『失敗したくない』という思いがあるから、失敗しないように準備できたり、計画を練れたり、リスクヘッジできます。
ですが、失敗したくないという思いが強すぎると、リスクヘッジに心血を注いで行動を起こすまで膨大な時間がかかったり、考えすぎて結局行動できなかったりします。
失敗したくないという思いから、まだ起こっていないことに「ああでもない」「こうでもない」とネガティブに考えてしまう。そして、「ああでもない」「こうでもない」というネガティブ思考には、ネガティブなイメージが伴います。
すると、更に失敗が怖くなり、更にさらに失敗しないように「ああでもない」「こうでもない」とネガティブ思考+ネガティブイメージの無限ループに陥ってしまう。
もし、この現実世界で体験する分量が人それぞれ決まっているとしたら、失敗を回避するということは、“失敗”という体験量をこなせません。すると、意図せずに失敗する(体験する)ことになるのではないかと思うのです。
たとえば、スーパーのレジで順番を抜かされて「イラッ」とする、自転車で転んで「何で自分にだけ…」と落ち込む、同僚に送るメールを取引先に送ってしまって「取返しがつかないことをしてしまった」という絶望的なってしまうなど、意図せず“失敗”を体験してしまう。
そうだとしたら、自ら意図的に体験することが、いつものパターンからの脱却になるのではないでしょうか。
失敗+αを体験すると、失敗は失敗ではなくなります。
スーパーのレジで順番を抜かされたきには「並んでいるんですけど」と声を出してみる、自転車で転んだとき「この程度で良かった」と捉えてみる、同僚に送るメールを取引先に送ってしまったとき、取引先に電話で謝罪してコミュニケーションを図ってみる。
もし、体験するために現実世界に存在すると考えると、失敗は体験です。
失敗を恐れず、傍若無人になりましょうと言っているわけではありません。
「失敗したらイヤだな…」という怖さをちゃんと怖いと感じながら、体験することに価値があるように思うのです。
私がセミナー講師になる前、「あの人だからできるんだ」と思っていた憧れの人が震えながら登壇しているのを目の当たりにして、「あの人だから…」と被害者意識になっている自分に気づきました。自分と違うからと被害者的になってしまうと、行動しないことを正当化できてしまいます。
行動しないことを正当化して、自分が心底納得できているのであればいいと思うのです。ですが、どこかで不満で不足で不平を嘆いているのであれば、やはり人は体験することを望んでいるのではないでしょうか。
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